2013年8月



ーー−8/6−ーー 蝶ヶ岳登山


 昨年から始まった、夫婦テント登山。始まったと言っても、私も家内も、若い頃には登山サークルで、しょっちゅうテント山行を行っていたから、お互いにテント泊は珍しい事ではない。ただ、家内は結婚してから長い間、泊りがけの登山から遠ざかっていた。私としても、家内と二人だけで山中泊の登山をするのは、それまで無かった。そういう意味では、ちょっと新鮮な経験であった。

 この夏も、テント持参で南アルプスの塩見岳へ登ろうと考えている。そのための準備段階として、日帰り登山を計画した。テント山行では、それなりの体力が求められ、それを事前に確認する必要がある。昨年できた事が、今年も出来るという保証はない年齢である。行先は、北アルプスの蝶ヶ岳。私は何度も登った山だが、意外にも家内は登ったことが無いという。そんな理由もあって、この山に決めた。

 8月2日、朝6時前に三股の登山口に着くと、駐車場は満杯だった。夏山の最盛期には、こういう事態もあるという話は聞いていたが、金曜の朝でこうだとは、驚きだった。路肩の広い所に車を停めて、身支度。

 6時過ぎに歩き出した。天気はどんよりとした曇りで、霧も出ている。展望のない道をひたすら登る。途中何組かの登山者と、抜いたり抜かれたりを繰り返した。私は日頃トレーニングを重ねているから問題ないが、家内は次第に元気が無くなってきた。それでもなんとか登り切り、11時ちょうどに山頂に着いた。

 山頂はガス(霧)が低く覆い、展望はゼロ。小雨も降ってきて、ガッカリするような天気だった。雨具を着て、昼食の準備をした。食べ終わったら即下山かな、などと話し合っていたら、次第にガスが晴れて、雲の間から青空が見えてきた。それまで白一色だった目の前に、穂高岳の姿が現れた。劇的な展開であった。居合わせた登山者たちは、皆同じような格好で砂礫の上に座り込み、眼前に繰り広げられるシーンを眺めていた。

 登りの途上前後した、少し年齢が上と思われるご夫婦と、山頂で一緒になった。私は従来、山の上で見知らぬ人と会話をすることなど無かった。家内を伴って登るようになってからは、家内が気軽に話しかけるので、私も会話に引き込まれるようになった。ご夫婦は、京都から来たとのことだった。旦那は「荷物はほとんど自分が担ぐので、下僕のようなものですわ」と言った。こちらも同じですよと返し、さらにテント泊の場合は幕営装備一式も私が背負いますよと応えると、「それはうちより下僕度が高いですな」と言った。

 時間に余裕があったので、蝶槍のピークまで往復した。展望の良い稜線上の散歩道である。槍穂高連峰の雄大な姿を眺めながら歩いた。足元には、可憐な高山植物が咲いていた。前日までの雨で綺麗に洗われたハイマツの緑が、目に染みるように美しかった。紺碧の空をバックに湧き上がる真っ白な夏雲が、山岳景観に強いコントラストを与えた。

 

 蝶ヶ岳ヒュッテまで戻ると、まだ2時くらいなのに、テント場に張られたテントがすごく多くて驚いた。山小屋のブログなどによると、最近はテント泊の登山者が増えているとのことだったが、確かにその通りだと思った。ここにテントを張り、午後をゆっくりと過ごし、翌日も時間に余裕を持って下山するというのも、楽しいかも知れない。

 登りと同じ道を下る。マイカーで来るのは便利だが、同じ場所に戻らなければならないのが、つまらない。3時間ほどで駐車場に帰り着いた。朝出発してから、11時間が経っていた。

 ほんの一日の登山でも、やり終えた後の充足感は大きなものがある。何故このように満ち足りた気持ちになるのか、車を運転しながら家内と議論をした。結論として、リスクがあるからだという事に落ち着いた。自分の体力や技術が通用するかという不安なら、他のスポーツにもある。しかし登山の場合、体力を使い果たして動けなくなった時に、ギブアップでは済まされない。自分の足で帰ってこなければならないのだ。さらに天気次第では、予定の行動が取れないリスクがあり、さらに怪我をしたり、極端な場合は命に係わるリスクもある。そのリスクを求めて山に登るわけではないが、登山を終えた時の充足感と安堵感は、ここに原因があるのは間違い無いだろう。そのようなリスクに対する自覚が無い人は、危ないから山に登らない方が良い。

 下山をした時点では、特に疲労を感じていなかったが、帰路立ち寄った温泉から上がると、ドッと疲れが出た。「あなた、家まで無事に運転して下さいね」と家内が言った。この時点でもまだリスクから解放されていない自分に、心の中で苦笑した。




ーーー8/13−−− 風呂嫌い


 日本人は風呂好きな民族だと言われるが、そうでない人もいる。かく申す私も、嫌いというわけではないが、それほど風呂が好きではない。と言うか、面倒がって入らないことが多い。夏場はシャワーで済ませるし、冬は週に二回くらいしか入らないこともある。

 知り合いの木工家たちと泊りがけの会合があり、一緒に温泉に入った。その時、風呂の話題となった。ある木工家は、風呂が大好きで、仕事が終わった夕方風呂に入るのが、毎日の大きな楽しみだと言った。また、出張で泊まるときも、ホテルや旅館を選ぶ際に、どのような風呂かで決めるほどのこだわりよう。2011年に、東北大震災の復興ボランティアで出掛けた時も、どうしても風呂に入りたくて、仮設の浴場に一時間以上並んだとも語った。

 私が、風呂にはさしたる関心が無く、状況が許すなら何日入らなくても気にならないと言うと、その木工家をはじめ一同は、驚いたようだった。私は山岳部出身である。登山をすれば、たいへん体が汚れるが、山の上に風呂になど無い。学生時代の夏山合宿は、20日間を超える日数だった。その間、もちろん風呂には入れなかった。そういう過去の出来事が影響しているせいか、風呂など入らなくても何ら問題は無いという考えが身に着いた。

 歳をとったせいか、近頃腰が痛かったり、肩が凝ったり、手がしびれたりすることが多くなった。その対策をいろいろ調べるうちに、身体を使った後は、風呂に入って血行をうながすことが、疲労回復に効果的であるとの説があった。そう言えば、以前ある木工家が、仕事の後は風呂に入って、腕の筋肉などを揉みほぐすと言っていたのを思い出す。

 上に述べた風呂好きの木工家は、若い頃木工所に勤めて修行をしたそうである。毎日厳しい肉体労働を強いられ、身体がボロボロになると感じたほどだったとか。ひょっとしたらその時期に、翌日に疲れを残さない方策として、入浴の効果に目覚めたのかも知れない。それが習慣化して、風呂に入らなければ一日が終わらないというような生活スタイルが出来上がったのかと想像する。

 物語りに登場する江戸の大工職人などは、仕事帰りに銭湯に寄って、一風呂浴びるのが日課だったようである。これは、職人は粋で綺麗好きという理由もあったかも知れないが、疲労回復の手段として入浴が必要だったからだとも言えよう。風呂の効果は、身体を綺麗にすることだけでは無いのである。

 自宅の小さな浴槽は窮屈で、身体が大き目の私としてはとてもリラックスした気分にはなれない。銭湯のように大きな浴場なら良いのにと思うが、そんな贅沢は言わずに、まめに入浴することを、これからは心がけよう。




ーーー8/20−−− 列車の指定席


 夏休みは、帰省などで列車を利用することも多いだろう。それに関連してと言うわけではないが、こんな事を思い出した。

 学生時代に、山岳部の先輩と東北地方へ出掛けた。その帰り、上野行の列車に乗ったのだが、自由席は満席でごった返していた。そこで、予約もしていないのに、指定席の車両へ行き、一つのボックスに陣取った。始発駅だったので、指定席はまだほとんどが空席だった。

 発車後しばらくして、車掌が現れて、検札をした。我々は、指定券は持っていないが、この車両が空いているので、ここに座っていると話した。車掌は、「この席は指定席料金を頂きますが、本来の指定券を持っている乗客がきたら、移動してもらうことになります。今日は混んでますから、最終的には立ってもらうことになるでしょうが、御承知下さい」と言った。我々は「分かりました、そのようにします」と答えた。すると車掌は、「でも、どうせならあの隅のボックスに座った方が良いかも知れません」と、不可解な事を言った。我々はアドバイスに従って、その席に移動した。

 列車が進むにつれて、指定席は乗客で埋まっていった。我々は、立ち退きを求められる事を覚悟した。駅に着いて、乗客が乗り込んでくるたびに、「もはやこれまでか」と思った。そのうち、通路に立つ者も現れた。自由席車両が満員なので、指定席に流れてきた感じだった。次第に通路も、身動きが取れないほど混んできた。ところが、我々の席に権利を持つ乗客は、ついに現れなかった。上野駅まで、座ったままで乗り通せたのである。

 後日、この話をすると、ある人は「それはVIP用にキープしてある席だろう」と言った。緊急時に備えて、そういう席が確保されており、一般乗客の予約は入れてない。我々のケースでは、車掌の裁量でその席を使わせてくれたのだろう。もし途中で必要になれば、座っている者を退去させれば良いだけのことだ、と。なるほど、そうかも知れない。たとえVIP用ではなくとも、緊急の病人や怪我人のためにキープしてある可能性はある。また、ダブルブッキングなどのトラブルに備えて、そういう手段を講じている事も考えられる。

 もう30年以上前の話である。現在では状況が違うかも知れない。もちろん、事の真相は不明である。しかし、やむを得ず予約無しに指定席に座る場合は、1A、1Bあたりの座席に座れば、ひょっとしたら生き残れるかも。




ーーー8/27−−− 油断の登山


 8月16日、家内と次女を連れて、長野・新潟県境の雨飾山(1963m)を登りに行った。結論から言うと、暑さでバテて、厳しい登山となった。こんなに辛い出来事は、過去数年間の登山では、ワーストワンであった。

 前日の晩、私は近所で夕食に招かれ、酔って帰宅した。次女も松本で同窓会があり、帰りが遅かった。そんなわけで、登山当日、自宅を出るのが遅れた。夜が明けたら出発するつもりだったが、一時間以上遅れて6:20に家を出た。

 7:50に登山口に着いた。駐車場は40台近い車でほぼ満車状態。人影はほとんどなく、登山者は既に山の中に入っているようだった。登り始めてすぐに、下山者とすれ違った。その人はたぶん暗いうちに登り始めたのだろう。他にも、予想外に早い時刻に、下山者と出会った。

 早朝は快晴だったが、9時頃には雲が湧き、ガスが上がってきて、遠望は利かなくなった。夏山の天気は、こういう流れが一般的である。山頂からの眺めを楽しみたければ、早い時間に登らなければいけない。

 雨飾山は、立派な山だが、北アルプスほどの高さは無い。従って、登るルートも気温が高めである。ギラギラと照りつける太陽の下、1ピッチ目から汗が噴き出して、全身がぐっしょりと濡れた。大量の水分が、汗として流出した。体の水分が不足すると、熱中症や脱水症状に陥る恐れがある。そこで、頻繁に水を飲んだ。しかし、飲んだ水がそのまま汗になって出るような気がするくらい、暑かった。

 登り始めて3時間ほど経った時、身体の調子が悪くなってきた。全身に疲れが来て、元気が無くなった。足を上げるのが億劫になった。息も弾んだ。そのうちに足がつるようになった。騙しだまし歩いて、なんとか頂上に着いたのは正午少し前。頂上に着いても、しばらくは座り込んだまま、何もする気が起きなかった。グッタリと疲れていたのである。

 年間を通じて、登山のためのトレーニングとして、裏山登りをしている。時には15キロや20キロの荷重を担いで登る。昨年は100回登った。今年は、春先から腰痛に悩まされ、裏山登りははかどらなかった。それでも、7月の末までに35回登った。登山における体力に関しては、十分な自信があったのである。それがこの雨飾山では、絶望的に落胆した。

 筋力や心肺機能が万全であっても、暑さの中、大汗をかいてミネラルを流失すれば体調が狂う。それに対する意識が欠如していた。若い頃は、そのような事を一度ならず経験していたのだから、知らなかった事ではない。しかし、当地へ来て、条件の良い登山ばかり繰り返すうちに、そういう事を忘れてしまったのである。

 それにしても、登山は朝早く出発する事が鉄則である。夏山の場合、早く行動すればするほど、気温が低く、天気も良い。今回出会った登山者のほとんどは、それを心得ていたのだろう。駐車場の車は、関東、関西や四国など、遠隔地のナンバーが多かった。恐らく前の日の夕方に登山口に着き、車中あるいはテントで寝て、翌朝早く登り始めたのだろう。遠方から来る登山者は、それなりの心構えで臨むと思う。それに対して地元の我が家は、いつでも行ける気安さから、手抜きをした感がある。それが見事にしっぺ返しを食らった形になった。





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